こんにちは、サンプルりか子です。
数年前、目当ての展覧会のために夜行バスで東京に行きました。
朝8時頃だったと思います。
早く到着したので美術館の回りを歩きまわっていると、
黄色い帽子に黒いランドセルをしょった小学生とすれ違いました。
私はその小学生を、期せずしてじっと見つめてしまいました。
「住んでるんか…」
バカみたいにそう思ったのです。
「普通」の営みをしているのか、東京で。
私にとっての東京は、物理的にも精神的にもはるか遠く、
言ってしまえば地続きの異国の感覚だったのだなと思います。
誰かが言っていました。
「東京は全部秋葉原だと思ってた」
と。
私も同感です。
何処へ言っても秋葉原や渋谷や新宿のようだと思っていたし、
高層ビルが所狭しと生えそびえ、そこを颯爽と闊歩する丸の内OLに
疲弊したサラリーマン。
(逆でもいいわ)
それが東京のイメージ。
私にとって生活感のない「東京」に、
急に「馴染みの景色」が飛び込んできたのです。
小学生が通学しているという風景です。
ごめんね、朝っぱらから変な人がじっと見ちゃって。
こういう気持ちだったのだよ。
と言いたい、わけでもないですがそういう気分でした。
地図を見たり写真を見たり調べれば東京でも自然豊かな場所があり、
静かな地域があり、のどかな景色が見られるとわかります。
田舎といっても流石に放送されていなかったわけでもなかろう、
テレビでも、例えば「高尾山」とか「東京の下町の風景」とか
私も見ているはずです。
中学時代はテレビっ子だったので。
しかし、私を「通学中の小学生」を見ただけで震撼させるほど
「東京はすべて秋葉原だ」というイメージや先入観は強固なものだったのです。
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かくして、上京し、私は「住んでいる」人の一員になりました。
小学生を見て驚いていた時分には想像もつかなかったのですが。
逆に想像ついてたらすげーです。
最初の3か月ほどは地獄だったので東京について意識して
考えたことはありませんでしたが、
東京暮らしが日常になると、
東京にあふれる「情報」が恩恵に感じられるようになりました。
同時に、いつも裏切られるというか、
予想を外すというか、
一言でいうと「不思議な場所」です。
歴史深さと新しさを一緒に生かしているという点でも
ユニークなのではないでしょうか。
(ある意味こうして「伝統」というものが続いていくとも思います。
どちらかが廃れたら、歴史も残らない、進化・進歩しない、となる気がします。
それはもの・こととしての「歴史」や「最新」でもあるし、
これを話しだしたらまた地方の話になるので割愛。)
「東京の○○(地名)」と限定すれば比較的イメージつきやすいのですが、
「東京」と言うと、掴み所がないのです。
手の温度に反応する仕組みですかと言わんばかりに、
掴んだ途端に色形を変える、そんな印象です。
だから、未だに「慣れない」という感覚です。
(「慣れない」という話はこちらの冒頭部分で語っています。)
まだ全ての地域に足を踏み入れてはいませんが、
それでも地域ごとに空気、雰囲気、感じ方が違うのです。
それは東京都に限らずなのですが、
簡単にイメージされる大都会「東京」は、
「トーキョー」でもあり、「TOKYO」でもあり、「東京」でもあるのです。
もう、おもしろいのです。
先程書いたように、変化も早いし、歴史も深いです。
そして親しみを覚えた途端に裏切られる感じ。
でも憎めない。
それが「東京」ですよね、となる。
更に知りたくなる。
でも知り尽くせない。
他方でずーっと物事が動き続けている、
新しいものが生まれ続けている、
同時になにかも失っているのかも知れない、
とにかく、ずっとアウェイ感。
孤独感とは違う、なんだか土地にも人にも新鮮さに欠かなくて、
混じりようがない、自分が浮き出るような感覚でしょうか。
そういうアウェイ感。
何でもできるのでは?という開放感。
最先端だし文化芸術歴史深いまちだから全部出尽くしているかもしれないけど、
特別高く尖らないと光に当たらないのかもしれないけど、
逆に人が多い分埋もれやすく、私にとっては自分を開放しやすいようにも感じました。
これは海外に行った時に近い感覚かも。
自分が、人が多すぎて「スイミー」(絵本)でいう赤い魚になったとしても、
反対に自分のもつ自分にしかない「赤」を出しやすい舞台に立ったというか。
東京には、そういう開放感もあるように思います。
それを「自由」とか「冷たい(寂しさからくる)」等々の言葉に
置き換える人もいるかも知れません。
県民性とかよく言いますけど、
私の東京の人の印象は、「サバサバ」です。
多くのものに圧倒的に慣れている。
そんな印象です。
全員と会ったこと無いのであくまでいちサンプルですが。
(東京出身・育ち・在住の何人かの共通点みたいなものです)
あと、情報とか設備面とか諸々は最先端のことが多いですが、
人の一人ひとりはそれに触れていたとしてもいい意味でも悪い意味でも
漏れなく最先端の考え、というわけではないと思います。
そういう人たちが集まった人の坩堝、
「普通」に人それぞれの生活をしている人たちが集まり、
そういう人たちが日本という国の政治経済諸々を
日本の中心となって動かしています。
東京一極集中ですから。
というわけで、④へ続きます。
P.S.
「住んでるんか…」はぜひ関西イントネーションで読んでいただきたいです。
では、また。
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