【アラサーの心境】心の目の赴く方向へ②

私VS常識 雑記

こんにちは、サンプルりか子です。

今年の1月2月は、仕事で本当に忙しかったです。
しかも人生初の個展と時期がかぶってしまったのです。

個展については昨年に開催が決まっていましたが、
個展のためにとった有給や代休に仕事をしないといけなかったり、
土日も出勤してほしいと要請がありました。
本当は個展に集中したかったけれど、
仕事に対しての責任もあるし、
部署異動したばかりで「これから頑張ってくぞ!」という気概もありました。

ですので、朝仕事、昼から展示関連、
展示でお客さんが来ていない時間に仕事、
帰宅して深夜まで仕事…
といった具合でやりくりしていました。

会社の一部の人も個展のことは知っていたので、
時期が重なってしまったことを気にしていました。
私が仕事を疎かにすることを気にしていたのだと思います、
ですので、「この半年が勝負だから仕事に集中してほしい」
「申し訳ないけど個展とかはしばらくしないでほしい」
と言われていました。

私、そんなに仕事放り出しそうに見える?

私的には当時は仕事が嫌だとか、
どうでもいいなんて思ってはいませんでした。
ただ、時期が重なってしまったことについては
災難だな…と感じていました。
かなり疲弊したので。
でも、

絶対両方疎かにしない。
どちらも大事だからこれからも両立してみせる!

という強い気持ちがあったので、倒れずに乗り越える事ができたし、
仕事も納期に遅れることなく遂行しました。
私は十分やりきったぞ!と満足感もありました。

ですが、周りには「仕事が個展を邪魔した」と私が思っていたり、
それで私のやる気が無くなったと解釈している人もいるようでした。

正直、土日も働いたり、有給や代休にも働かなくてはいけないような
仕事の仕方に疑問を持っていました。
当時はすでに決まっていた締切に間に合わせなくてはならない、
貢献しないとという使命感があったので、仕方ないことだと割り切っていましたが。
でも、その後体調を崩したし、もうそういう働き方はしたくないと思いました。
当時そのセクションの責任者でもあったので、
他の人にもそういった無理をして働いてほしくないと思っていました。

仕事の目標を発表する際にも、
「誰も休日出勤や残業をしない・させない。快適に働く」
ということをずっと掲げていました。
個展に仕事がかぶって私が大変だったことと、
休日出勤しない働き方がしたいということは別物です。

もちろん、個展と仕事が被り休みも働いたことが
発言するきっかけになっことは否定できません。
しかし、あくまできっかけにすぎません。
それに不満を覚えて「休日も仕事したくない!」「健全な働き方を!」と言う、
イコール休日出勤要請をした人を攻めている、と捉えられたんじゃないか、
それでこういう空気になっているのかな?と思わせる言を聞いたり、
雰囲気を感じていました。
誰だって休日出勤したくないのでは?
家に帰るのがいやだったり休みもやることがなくて落ち着かない人は例外ですが。

今だからこうやって言語化できますが、当時はずっとモヤモヤ、
掴みどころのない違和感みたいなものを抱いていました。


仕事がちょっと落ち着いてきて、土日通常通り休めた日。
朝起きて、ふと思いました。
「あ、今日はぼーっとしててもいいのか」

時間に追われない、誰からも監視されない催促されない。
気持ちがいいな。
ずっとこんな日常が過ごせると最高やなぁ~。

私はポカポカの温かい気持ちになって、なんとなくそう思ったのです。
ふわっと浮かんできた感じです。

その数カ月後、本当にそういう日々が続くことになるとは思いもよらず。


*******************


仕事に対して、私は一生懸命に取り組みます。
夢中になるといってもいいくらい。
まぁその結果上司の意に沿うものが出せるかどうかは別として。

ですが、時間に縛られず誰からも催促されない時を過ごし、
「私、こういうのがいいんだ」と気づきました。

恐らくこれを読んでいるほとんどの人が、
「いやいや、できるんならとっくにやってるって」
「そんな悠長なことよく言えるな」「今のうちだけだよ」
「言うても、ちゃんと働かなあかんもんやから」
と言うでしょう。
この声はこれまでの私が自分に対して言っていた言葉でもあります。


しかしそんなこんなで、
ぼーっとしててもいい日々を過ごし、
かれこれ一月が経ちました。
それでも私は東京で暮らして行けているし、
生きています。

何故それがしたかったのにやろうとしなかった?
きっと、やりたくてもできなかったんでしょうね。
何故できなかった?
できないと決めつけていたんでしょうね。

「本当はこうしたい」という気持ちがあるのに、
どこかで後ろめたさがある。
「社会」的な目を気にしている。
一般通念上、そういうことするのはよくない。
できっこない。
だから思うだけ無駄。
現実はそう甘くないものだ。

私にはそういった概念があったんだと気が付きました。
それは思い込みでもあります。

私が生きたい生き方って、一般的に良しとされているものか否かと聞かれると、
否、という答えになります。
一般的に良しとされているものってなんなの?と考えた時、
私達は「すべき論」の海の中に浸っているのではないでしょうか。
以前自分探しについて少し触れましたが、
私達は自身の本当の気持ちや願いより、「すべき論」に囚われていると思います。
この「すべき論」を優先させた生き方をしているのでは?と思うのです。


ああ…また長くなってしまいました。

この続きは次回に。


では、また。

コメント

タイトルとURLをコピーしました