【アラサーの心境】心の目の赴く方向へ④

雑記

こんにちは、サンプルりか子です。

私は小さい頃から絵を描くことや工作が好きでした。
真面目な性格なので、目の前のことに一生懸命に取り組み、
その性格のおかげで中学生の途中までは
勉強せず絵を描いていても、学校の授業を受けるだけで成績は良い方でした。

高校に進学し、部活中心の毎日になっても、ひたすら絵を描いていました。
大学でも絵を描き続けました。

しかし、大学を卒業し職についてからは絵がまったく描けなくなりました。
時間がないことだけではなく、描くことに「意味」を見いださなくては描けない状態になったのです。
昔は描くこと自体が目的だったのですが、次第に描くことが表現手段の一つとなり、
やがて表したいもの・ことがない状態だと何かを創造するという衝動が生まれないのです。

その衝動が生まれないまま、なんと約10年ほど経ってしまいました。

あの無心で何かをつくっていた情熱は、もう蒸発してしまったんだ。
シュワ~と跡形もなく消えてしまった。
逆さになって振っても、今の私の身内から再度生成されることはないだろうな。
何かの拍子でもう一度湧き上がってきてたりするのだろうか。
残念ながら、どうやっても、頭より手が勝手に動いてしまうあの衝動に駆られることはない…。
私、絵を描くこと、そんなに好きじゃないのかも。

卒業、なのかな。
私はもう十分一つのことに夢中になって、やり尽きたのかもしれない。
別のことをしましょうねという啓示なのかも知れない。
私はそう思いました。

じゃあ別のこと探そ。

でも、一体何をすればいいんだ?
以前あんなに好きだった読書にも身が入らないし、
適当にDVDを見ていてもどこか後ろめたさを感じて、
そんな事してちゃいかん、いかん!
DVD鑑賞に何の意味があるのだ!
一体何の役に立つ?

そうだ、英語の勉強だ。
そうして英語の勉強を始めます。
仕事で帰りが遅くなって、勉強しない日が続き、
だんだん億劫になる。

このように私生活では注意力散漫で結局何もできずにいましたが、
仕事は、私を集中させてくれました。
私のすべては仕事でした。
ネットの記事、展覧会の絵や解説文、誰かの説明や言葉、
見聞きしたものを仕事に活かせないか、全集中していました。
どんなことがヒントになるか、役に立つかわからないから
360度アンテナを張るように心がけていました。

会社に損益を与えない限り仕事を首にはならないし、生活は送れます。
生活ができるということはつまり、収入を得ること。
収入、お金は自分がやったことが具現化された成果物でもあるし、
それがまた仕事への活力へと繋がります。
そうすれば生きていける。
また、仕事への「やりがい」を見い出せば、仕事も楽しくなるし、
継続に欠かせないモチベーションが持続されます。

私の趣味、仕事。
そう言っても過言ではありませんでした。
深夜残業や連勤も厭わず、何がそんなに大事なのか、
私は自分の余暇も健康も顧みず、そういう点では会社に身を捧げていました。
逆に言うと、会社に身を寄せ、依存していたのだと思います。

しかし依存すればするほど、なにかの拍子でその身を寄せる部分あるいは私の心が揺らいだ時、
今まで「頑張ること」で支えていたバランスが崩れだします。
会社の方針に疑問をいだいた、新展開について行けない、人間関係のトラブル、
そういったもので、私のモチベーションは減速し、やがて止まった時、
いよいよ会社を離れる/離れたくなります。
「私は○○をしたいんじゃない、だから続けられない」
「もう職場の空気がつらすぎて、辞めたい」
となるわけです。
そして次の糧を探さなくてはならなくなります。

でもそんな時、ふと思うのです。

私は何がしたいの?

そういえば、今までちゃんと考えてこなかった。
次に活かせることってなんだっけ。
あ、これがしたいかも。
でもそれには資格が必要だ。
本当にやりたいのかな?

いつの間にか私は自分が何がしたいのか、何が好きなのか、
すっかりわからなくなっていました。
見つけ方もわからないのです。

まるで迷走しているよう。


間に色々ありましたが今回は割愛して、
上京して1年経ったある日。
5年来の知人であるアーティストさんとお茶しました。
この方は専門は音楽ですが、文化芸術全般に造詣が深く、
この日なにかの話の延長で私の過去の絵を見せることになりました。
今までなぜ見せなかったのか、恐らく私にとって絵は重要ではなくなってしまってたので
忘れていたんだと思います。酷いですね。
私の絵(スマホの画面上)を見たその方はえらく感動してくれて、
もっと私の絵が見たい!続けてほしい!と言ってくださいました。
私は驚きを抑えながら、お礼を伝えました。
そして、

「ただ、もう描く気がないんです、すみません」

そう付け足しました。

しかしながら、内なる私は心に何か熱いものが灯ったようでした。
ものすごく嬉しかったのです。
これまで私の絵をこんなに直接的に褒めてくれた人はいなかったし、
幼少期から23歳くらいまでは誰の言葉も気にせず、描きたいから描きたいものを描く
というスタンスでした。
それでよかったのです。
…今思いましたが、大学で「評価される」行為を続けていたのが良くなかったのかな、まぁいいや。

学生までは良かったのです。
ただ好きに描いていればよかったので。
しかし、学生というモラトリアム期間が終了した暁には、
いよいよいち社会人として生きていかなくてはなりません。

「働かざる者食うべからず」、です。

本当は作家として食べて行きたかった。
でも私は進学もせず、就活も途中で辞め、
かといって私の作風はこれです!という確固たるコンセプトもなく、
大学卒業という区切りを迎えてしまったのです。

私、絵で食べていくこともできないや。
今まで描いてきた絵ってそんなもんやん。
私の絵って、価値ないやん。

どこかでそういう思いがあったのだと思います。
今の私からすると、自分の絵がそんなもんってどんなもん?って感じで意味不明ですが。

仕事で知り合った知人に今まで描いてきた絵を見せたら、
苦笑いで感想が返ってきました。
私は闇を抱えているとも言われてしまい…いや抱えているだろうけども。

そっか、私の絵ってダサいんだ…。
病んでる人の絵なんだ…。

直接ダサいとは言われませんでしたが、オブラートに包んだ言葉を
悪い方に解釈し、私の絵はこんなもんだ、という自分で作った現実を
社会人になっても突きつけられていました。

そんな心の土壌には、絵に対する情熱なんて育ちません。

だから、
「ただ、もう描く気がないんです、すみません」
が本心でした。

しかし、自分の絵で感動してくれている人がいる。
もっと見たいと言ってくれた。

私のイメージでは、この時荒れ果てた土壌に
変な雑草がはびこっていたのが、ちょっとずつ消えていった感じで、
私の思考は次第に「絵を描く」に向いていきました。

その方は繰り返し私に「絵を続けてください」「小さな一歩を止めないこと」と言ってくれました。

今でも私の覚悟の源になっている言葉が、

絵画や音楽家や創作家の多くが作品作りに向き合うことを避ける傾向とは、
手を抜いたら作品にならないことを知っているから。
手を抜かないということは、全身全霊を傾けなくてはならず、
自分と向き合い続けないといけない。
それが怖いのだ。

という言葉でした。(多少変えています。)


私は自分の好きなことに向き合うのが怖かったです。
自分の好きなことを否定されるのも怖かった。
周りの評価におびえていました。
そうやって多くの人が、創作に挫折してきた。
妥協してきた。

でも私の絵は、少なからず目の前の人の心を動かすことができる。
そうじゃなくても、私はわたしが好きなことをしていていいんだ。
だから、もう一度やってみようと思いました。
やりたくなったのです。

自分の好きなことに向い続けることはラクなことではありません。
「社会」という厳しい目が常に向けられた世界に生きていますから。
また、今日明日のために食べていかなくてはなりません。

しかし私は、本当の私がどうしたいのか、
何に全身全霊を傾けて生きていきたいのかに向き合うことに決めました。


では、また!


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