知らなくていいよ、そこまでして。映画『犬は歌わない』感想

「サルっぽくするな!」と言われたチンパンジー、犬に戻れないスペース・ドッグたち 雑記

こんにちは、サンプルりか子です。

東京は映画館も多く、色んな配給の作品が観られていいなぁ。
都外の方は、上京された際ぜひ色々な劇場やホールに行ってみてください。
私は上京前は、映画のためだけに東京へ行っていたこともあります。
もちろん、東京でしかできない別の用事も作りますが。

先日『ペトルーニャに祝福を』を観た岩波ホールの
上映セレクションが好きで何度か観に行きましたが
(といっても数えるほど)、
つい数日前、新規開拓をしました。

ちょうど岩波ホールに行った時、
岩波ホール上映作品や他の映画のフライヤーを見て、
これだ!と思うものが2作あったのです。

しかも両方渋谷のイメージ・フォーラムで同時期に上映されています。

今日はその一つ、『犬は歌わない』の感想です。
以下、私の感想及びネタバレが含まれますのでご注意ください。


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『犬は歌わない』のポスター。イメージ・フォーラム入口横にて。

あまり動物ものの映画は観ないのですが、
『犬は歌わない』はドキュメンタリーだったため観ました。

下記より、『犬は歌わない』のあらすじです。

1950年代、東西冷戦の時代。
ソビエト連邦は宇宙開発に向けて様々な実験を繰り返していた。
その中の一つがスペース・ドッグ計画。
世界初の“宇宙飛行犬”として飛び立ったライカは、
かつてモスクワの街角を縄張りにする野良犬だった。
宇宙開発に借り出された彼女は宇宙空間に出た初の生物であり、
初の犠牲者となった。
 時は過ぎ、モスクワの犬たちは今日も苛酷な現実を生き抜いている。
そして街にはこんな都市伝説が生まれていた
ーーライカは霊として地球に戻り、彼女の子孫たちと共に街角をさまよっているーー
 本作は宇宙開発、エゴ、理不尽な暴力、犬を取り巻くこの社会を宇宙開発計画の
アーカイブと地上の犬目線で撮影された映像によって描き出す、
モスクワの街角と宇宙が犬たちを通して交差する新感覚のドキュメンタリー映画。

引用:「映画『犬は歌わない』公式サイト – SpaseDogs」 より

私は犬が好きですし、あらすじから既に
これは泣いてしまうな…と感じました。

ライカはもうこの世にいないので、
「スペース・ドッグ」のドキュメンタリーをどう展開していくのか、
気になっていましたが、ライカの後継となった囚われた野良犬たちの
当時の映像と現在モスクワに住むその子孫たちの現在の姿を映していました。
スペース・ドッグの映像は結構綺麗に残っていたので関心しつつ…。

日本でも以前は野良犬がそこかしこにいたようですが、
現在では狂犬病予防法第6条という法律に則り
保健所が積極的に保護しているため殆ど見ることはありません。
(一定期間の「収容」は果たして保護なのか?人間を守る意味での保護か?)

田舎育ちの私でも、これまで見たのは片手に余るほどだと思います。
イノシシや鹿、たぬき、猿に遭遇する確率のほうが圧倒的に高いですね。

「野良犬=狂犬病の可能性」というイメージが強いため、
犬が好きな私も野良に出会うと構えてしまいます。
凶暴なのかなとか思ってしまいます。

映像の中のモスクワの野良犬達は、まちなかを縄張りとして日夜闊歩しています。
そこで生まれ育っているわけですから当たり前ですが。
いわゆるシティボーイ・ガールですね。

通行人も犬たちが横を歩いていても動じることはありません。
ああ、慣れているのか。
または日本と認識が違うのかな?
(野良に対する法律もないのかも知れない)

もともと「野良」というのは、野生動物だった犬や猫を
人間が飼いならして家畜化し、
その動物たちを人間が野に放って人から離された犬猫のことです。

つまり、人の手によって「野良」という存在が誕生し、
言ってみれば野良というのは人が作り出した「人工」なのです。
そんな野良たちを病気の恐れがあるとかいって「処分」するとは、
人間とはつくづく勝手な生き物です。


この映画で取り上げられている多くの野良犬たちが
「スペース・ドッグ」として人間の宇宙への旅の実験台として捕らえられました。

捕まえられると我慢強く丈夫な犬が選別され、人に慣れるよう調教され、
怯え震える身を抑えられ、全身に管を通され、縛り付けられ、
過酷な訓練を受けさせられます。

多くの仲間達が宇宙に行く前の発射とともに爆発したり、
空に打ち上がっても孤独に宇宙の塵となる中、
奇跡的に地球に生還した犬たちもいました。
(だからこそ今人間がロケットに乗っているわけですが。)

帰ってきた犬たちは色んな器具でがんじ絡めにされた状態で
見るからに衰弱し、地に足つけたもののか細い足は震え、
目はうつろで、あの雄雄しい野良犬の頃の面影は消えています。
とても痛ましい姿でした。

彼らはもう、厳しい、けれど自由な野良犬に戻ることさえできないのです。
帰還してからは白衣を着た人間たちに撫でられ、しっぽを振って喜ぶ、
人間たちの可愛いわんこになりました。

お腹にパイプを埋め込まれた状態で走り回る犬たちの姿を、
生きていてくれてよかったと喜ぶべきなのか、
どういう気持ちで見ればいいのかわからず、
正直見るに堪えられず涙がでてきました。

やっとの思いで帰還した犬たちには、まだ役目があります。
それを研究員たちは「結婚式」と呼んでいたそうですが、
それはオスとメスを交尾するまで檻の中に閉じ込めるものです。
まるで「ごっこ遊び」です。

そうして無理やり生まれたスペース・ドッグの赤ちゃんたちは、
著名人に「宇宙犬」として引き渡されたそうな。


私はかつては野良犬でスペース・ドッグになった犬たちの瞳が忘れられません。

現在のモスクワの犬たちの「生き抜いていく」という
逞しい目との対比がよりいっそう
彼ら「犬」の置かれた環境を顕にするようでした。

あんなに本能に従順で血気盛んだった犬たちが、
いとも簡単に人間のお人形になり、
あの頃の自分が完全に抜け落ちてしまったかのように
人形として死んでいく。
そうすることしかできないのです。
ストレスで死んでいった犬たちも数多くいたはずです。

犬だけでなく、最初はアフリカで捕らえられ、
アメリカに売られたチンパンジーや、
カメたちも宇宙実験の犠牲となっています。

彼らの命はしょせん人間の手の中でコントロールされるものなのです。
無慈悲です。


宇宙に旅立つシャトルの姿を見て人々は
人類進歩の象徴として大歓喜し、期待に胸を膨らませます。

爆発したシャトルの閃光は、
その中に閉じ込められた犬たちを弔うように十字の形をしていました。

この2つの光景が重なり、私は人類の進歩自体を喜ぶことができません。

同じ生き物として、あの怯えた目。
エゴで次々と消されていく命。
それでなり得る成功なんて、私は望みたくありません。

私は知らなかったのです。
宇宙開発の裏でどういうことが行われていたのか。
宇宙開発の輝かしい一面が全てだと思っていた、というより、
それ以外を考えてみるというアイデアは私にはありませんでした。

成功の前には必ず度重なる失敗があり、
失敗にはなにかの誰かの何かしらの犠牲が伴うものです。
ましてやそれが宇宙開発という人類全体の規模となると…。

世の中は、画像のレタッチのように情報も綺麗に切り取られて発信されています。
真実を見ようとするには、
こういった想像力を使って人間の欺瞞を疑う必要があると思います。

宇宙の不思議なんて、医療の進歩なんて、
人類が生き残る方法なんて、そんなの知らなくていいよ。
他の要因もありますが、今回のドキュメンタリーで強く感じました。


この件に関しては色んな話(クジラ漁とか)と交えて展開していきたいのですが、
ちょっと話が広がりすぎるので今回は映画の感想でとどめます。


この映画、機会がありましたら、ぜひ御覧ください。
かなりネタバレしてしまいましたが、実際の映像を観ていただきたいです。


では、また。







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